(001)鏡越しコミュニケーション

  • 登場人物:
  • 美春みはる

 「本当にいいんですか?」美容師さんの惜しそうな声に、私は「はい」と力強く答えた。腰まで伸びた長い髪に銀色のハサミが触れる感覚を、目を瞑って受け止める。親しくもない美容師さんが惜しんでくれても、惜しんで欲しいあなたが惜しんてくれないならと、別れを決めた、18の春。

(002)

  • 登場人物:
  • 清良きよら

 青い海の底に、暗い暗い場所があって、私はそういうところに行ってみたい。誰もいない、静かで、独りで、仕方のない場所へ行ってみたい。私は、羊水に抱かれるように、あの広い広い場所に帰りたいのだ。そこなら私も、受け入れられるような気がして。

(003)恋する少女

 雨の中傘を差して歩くのが好き。近所を歩いているといつもよりもなんとなく彩度の低い景色が広がって、なんとなく新鮮な気持ちになる。知った風景なのに不思議だなあと関心していると、後ろから「コラ!」と声がした。実はこの声のために雨の中いつまでも遊んでいるのだった。

(004)諦観

 愛しいと言いながら彼は私の髪を撫でるけれど、抱きしめてはくれないのだ。ふわりと触れる指の優しさを感じながら、どこか足りないジレンマ。いつになったら抱きしめてくれるのかと頭を回してみたけれど、きっと彼は私が言いだすまでそうしてはくれないと、私はどこかでわかっていた。

(005)渇望

 僕らは宇宙船に乗る夢を見ていた。真っ暗闇の中に浮かぶ星達のその中に水の玉のような星を見つけると、涙が出そうなほどだった。似ていると思った。失ってしまった故郷は戻らないけれど、これなら。これを手に入れることができれば、全てが戻ってくるような、そんな気がしていた。

(006)拝啓、かみさま

 言葉を追う。一枚の紙が手の中に。この紙の向こう側に誰がいるのか私には知る由もないけれど、こうして毎日届く何千何億もの紙を読み、返事を出すでもなく、ただ、読んでいる。人々の思いを、感情を知りたい。その思いだけで、一心に、ただひたすらに。

(007)憧憬

 美しいものを追っていたの。眼前に広がる綺麗で眩しいものを。掴もうと手を伸ばしてもするりと抜けてしまうものだったけれど、それでも構わなかった。ずっと私の目の前で輝いていて。例え一生、触れることができなくても。

(008)家族への

 時に厳しく心臓を刺すように、時に優しく真綿に包むように、そうしながら迎え入れ、一様にかけられる「おかえりなさい」の声。その先にいるあの人達を、僕はいつか受け入れられるのだろうか。彼等が僕を受け入れてくれたように。

(009)臆病者

 不安も焦燥も飲み込んであなたと接するのだ。小さなことが怖くて怖くてたまらないのにグッと喉で堪えるのだ。自分が傷つかないように、何重にも殻をかぶって、そうして私は、本当の気持ちひとつ言わないままあなたに愛されようとしていた。

(010)夏の残像

 空気が揺らぐ。緑が揺れる。青い空からさす眩しく白い光が地面を照りつけた。足元からじわじわと熱が登る。蝉が鳴く。けたたましく、生を叫ぶように。夏の初め出会った彼女が消えた、夏の終わりはそんな日だった。

(011)日々

 ビールとコーヒーが苦手でタバコの煙が嫌なんだと、ミルクティーが好きでチョコレートに目がないんだと、そんな君が辛口のカレーにふーふーと息をかけ、目を潤ませつつもそれを頬張るのを見ながら、ああ、今日も一日平和だったなあと静かに目を細め、幸福を噛み締めた。

(012)悔しさ

 「いつからこんなに弱くなったんだ」唇を噛みしめる君を見た。この腕で抱きしめて大丈夫だとそう言いたかった。「君は何も変わっちゃいない、大丈夫だ」そう、安心させてやりたかった。それをグッとこらえただ押し黙る。彼女がそんな言葉で安心するはずがないと、気づいてしまって。

(013)恋をした、背中

 強かで凛として見えていたその背中が急に一人の少女に見えた。しゃんと伸びていた後ろ姿が、いつでも大きかったそれが、本当はいつも壊れそうなくらい小さかったと何人が知っているのだろう。今にも溢れそうな瞳の輝きをグッと息を詰め堪える姿に、僕は恋をしたんだ。

(014)いとおしいもの

 愛おしいもの。熱いコーヒー、お気に入りの古い本、穏やかな音、お日様の匂いがする取り込んだばかりの洗濯物、暖房のついた部屋であなたを待つ時。そして、それらを思い出させるポツポツと街灯の灯った裏道の、ハッとするほど冷たい空気。

(015)夕暮れの幸福

 思い出の中で彼女が「私は硝子のハートなの」と言った。その彼女は今、カーテンの靡くリビングで夕日のオレンジに照らされながら、洗濯物に囲まれて、繊細さの欠片もない寝顔を見せている。どこが硝子のハートだよ、と苦笑しながら、そっと彼女の頬を撫でた。

(016)最期の君に捧ぐ

 「指きった」離した指は静かにベッドに落ちた。昨日笑っていた少女の横顔はただ眠っているだけのように柔らかく、穏やかだ。これから僕は、君ができなかったことを全て経験する気で生きなければいけない。ああ、でもごめんね。一つだけ、恋だけは、どうしてもできなさそうだよ。

(017)無知の幸福

 彼女は幸せそうな顔をしている。甘いお菓子に、楽しい絵本に、父親に頭を撫でられたことに。一日中ベッドの上で不自由な生活を送りながらも、彼女は笑顔を絶やさない。私も、他の人間も、もちろん彼女の父親も、救われているのだ。たとえその笑顔が自由を知らぬゆえの物だとしても。

(018)

 まだ子供だからこの人の隣で寝ることも叶わないんだ、と自分の未熟さを思った。もっと大人なら、叶ったのだろうか。おやすみなさいと直接言えたら、もし隣に居れたなら、彼が先に寝ることも、彼を置いて先に寝ることも、寂しくなんてないだろうに。

(019)息苦しさ

 夜が寒くなってきたなあと、私は窓を閉めた。布団の中に潜り込んで考えることは、いつも同じ。簡単に、この足りない頭を占める君のこと。笑顔を見ると、声を聞くと、手に触れると浮かぶあの感情は、なんとなく、首を絞められるような苦しさに似ていた。

(020)さよなら、星空

 部屋の中、残る光はテレビだけ。バラエティ番組の明るい笑い声が響いている。明るい。明るすぎるくらいだ。曇った窓を開けてベランダに出る。カーテンを閉めてテレビの明かりを遮ったのに、空の星は見えなかった。星になって見守っているからね、が難しい、今の夜空が、そこにある。

(021)生きる

 どうしようもなく死んだ心で思う。所詮他人は他人なのだと。交わることなどないのだと。どうしようもなく生きた心で思う。所詮他人は他人なのだと。それでも重なりたいのだと。選択はいつも苦しい。捨てきれない絶望で、捨てきれない希望で、僕は歩く。ままならないこの生を。

(022)装飾

 君の唇に紅をひくよ。美しい唇を隠すように。君の頬に紅をさすよ。自然な赤らみを隠すように。そうして僕以外の誰かが君の美しさに気づきませんようにと、思ってはならない願いを胸に秘めるんだ。こんな僕にすら、なにも知らずはにかむ少女を前にして。

(023)暗闇の孤独

 田舎の細道を一人ゆっくりと歩きながら冷たい空気に身を委ねた。真っ暗闇を掻き分けるように、一歩一歩確実に。車も滅多に通らない。チカ、チカ、と黄色い信号が点滅する。無機質な世界にたった一人、行き場もなく立っているような、そんな錯覚がした。

(024)伝われ、想い

 白いレースのカーテンが揺れる夕方に、愛してくれとあなたは言った。言い淀む私に嘘でもいいからと畳み掛けた。胸がざわりと嫌な音を立てる。ああ、何も伝わっていなかったのだ。そう、泣きそうな彼の目に浮かぶ光を見る、私の心が泣いていた。

(025)焦燥

 黄色い月が追いかけてくる。ふと見上げれば視界の隅にいつもいる。美しい輪郭を見せたり隠したりして、私を見つめるように浮かんでいる。ふっと冷たい風が吹いた。身を縮める。行かなければ、と確かに思った。追いかけてくるあの月に、見捨てられてしまう前に。

(026)嫉妬

 身を焦がすような恋がしたかったわけじゃない。物語にすらならないような、平凡で、穏やかで、だけども幸せな恋に包まれたかっただけなのにと、彼とあの子の間の空気を、埋められない時間を思い、醜い心に苛まれ、不安を抱えた私が泣いた。

(027)ずっといっしょに居られるわ

 あなたのことだけ狭い心よ。焦燥と、嫉妬と、独占と。黒い感情を白くするのはあなたの言葉以外ありえない。離さないと言ってみせて、嘘でもなんでもかまわないから。綺麗なものだと思わせて。涙が溢れるくらいロマンチックな言葉で魅せて。そうして夢見せてくれれば、きっと。

(028)アナログ

 綺麗な紙にしたためられた丁寧な文字を指で追う。字が綺麗じゃない君の精一杯。こんなにも溢れんばかりの思いを抱えていると、いつもと違うアナログのメッセージ。今度はなんと返そうかと、凍える手の中の愛しさをそっと抱きしめた。君と会えない夜はこんなにも長い。

(029)王子という理想

 求めていたのは温もりのある愛だった。鋭くない、冷たくない、そんな穏やかな愛情だった。なんでもない日々の中で見つけられるほど甘くないものだとわかっていたけれど、運命的な、奇跡的な、そんなものに思いを馳せて、私は今日も普通の、私だけの、王子様を探している。

(030)春の猫

 うとうとしている。縁側の太陽の光の中で。ぽやぽやしている。穏やかな暖かい空気の中で。心地いいのだろうか、まだわずかに涼しい風が。夢見心地が見て取れるくらい、耳を落ち着けて、髭を風になびかせて、彼は今日も今を堪能しているようだった。

(031)おとずれ

 昼時の窓際、外を眺める横顔に心をときめかせた。短い髪はすっきりと、顎の線がしゅっとして、うなじの白さが印象的で。漂うコーヒーの香り、優しい木の椅子とテーブルが温かい。柔らかい太陽の光がさすその景色は、春そのもののようだった。

(032)母の味

 日曜の夕方。揚げ物のいい香り。お母さんが「もう少しでご飯よ」と言う。手を洗う。台所に行ってご飯を運ぶついでにつまみ食いしようとして怒られた。黄金色の衣。熱々の白いご飯。家族と囲む食卓。テレビの音をBGMに、優しい味の唐揚げを頬張る。いつまでも覚えていたい味。

(033)別れの夕日

 あなたの黒い髪が陽の光に照らされてオレンジに輝いている。立ち去っていくいつもより少し重い足取りを見送るも、溢れそうな涙で滲んで見えやしない。ただキラキラと夕日の色が目に入って、ポタリ、と雫が落ちた時にはすでに彼の姿はなかった。それから夕暮れは別れの色だ。

(034)

 愛情と惰性と、その境目のところに生きている小さな芽を、じっと眺めておりました。いつか綺麗な花が咲いて、人々を幸せにするのでしょうか。それとも静かに朽ちていって、人目に触れずに消えるのでしょうか。わたしにはそれが、その先を考えるのが、恐ろしくて仕方がないのです。

(035)一夜

  • 登場人物:
  • 一花いちか

 眠れない夜って言ったっていつの間にか眠っていて、知らないうちに朝が来ている。寂しくたって毎日毎日やる事があって、そうしているうちに夜になる。一人、布団に入っても、自分の体温で温められた毛布は冷たくない。そんなもんなんだ。だけど、それがすごく、切ない。

(036)旅の終わり

 窓から差し込む西からの日がじっとりと肌を覆う。旅の思い出をそのままに、気だるい体とともに安らかな眠りにつこう。今ならあの青空を夢見ることができるだろうか。慣れ親しんだ土地の湿った風をうけながら、瞼を落とす。夏の終わりを感じている。

(037)芽生え

 友達の恋愛話を聞いた日。どんな意味で好きなのか、意識しだしたあの日。あんなに簡単に言えた言葉が、こんなに難しいものに変わったあの日。幼かった私の心はどこか温かく、どこか切なく。キュンとして、ギュッとして、あなたへの容易に伝えられない好きを、芽生えさせたのだ。

(038)だから恋って難しい

 好かれたい、と思う。大切にして、されて、とても優しい恋がしたい。鏡の前で赤い口紅をキュッとして、コートとカバンを手に、高いヒールの靴に足を入れる。「誰か私を好きになって」とアピールする。けれど、そんなアピールで来てくれる人たちは、みんな私を好きじゃないのだ。

(039)不安

 遠くの山はあんなにも強固にあるのに、私の体は強い風に煽られて今にも飛ばされてしまいそうだ。やってきた不安達は私の心に住み着いて、人の体を風除けに、勝手に私の頭を占拠している。ああ、今日も一人の夜を過ごすのかしら。大好きなあなたの行方も知らぬままに。

(040)よしなしごとを

 考えても意味のない 解決のしない とりとめのない どうしようもないことを誰かと語り明かしたいの。心が少し 軽くなる。そんな気がするの。明日からも生きていけるような そんな気がするの。わかったような顔してね。悟ったような顔してね。

(041)穏やかな春だ

 家を出れば優しい光が眼前に広がる。暖かな空気が、柔らかな風が髪を揺らす。明るく優しい声のアーティストの歌がイヤホンを通して耳に流れ込んでくる。そのまま、心へも。歩調軽やかに温もりの中進む。いつもと同じはずのことが特別に思える。ああ、穏やかな春だ。

(042)ひとり旅

 一人旅立つ夜は、何だか落ち着いて、街の灯りひとつひとつがとても尊いものに思える。しばしの別れだというのに知った風景が愛おしく、ジンと心臓を熱くする。私の周りだけがしんと静かだ。行く先になにがあるのかよりも、今までここでなにがあったか、そればかりが思い出される。

(043)夜道

 ふらり歩く夜道は心地いい肌寒さで、通り過ぎていく車の光や、街頭の途切れた暗闇や、風に揺れる葉の音や、その空間のもの全てが私を誘う。猫と目があって立ち止まり、しゃがみこむ。数分のにらめっこ。近づいてくれるかと淡い期待も、背後からの足音で消え、小さな背中が遠ざかる。

(044)桜かおる

 今年もこの季節がやってきたのだと、うきうき服を選びながら、ああでもないこうでもない。服に合わせて選んだ靴が目に入るたび、なんだか嬉しい気持ちになる。しゃんと背筋を伸ばして光を受ける。桜の匂いがするバス停で、今日は良いことがあるだろうかとバスを待つ、そんな春の日。

(045)ちいさな腕で

 理不尽に抗い盾突きながら、どうしようもないことを痛感するのだ。こんなちっぽけな腕では守りたいものも守れなで、歯がゆい思いばかり募るのだろう。そう思えて挫けそうになっても、抗い続けなければならないのだ。諦めて仕舞えば、自分もその“理不尽”になってしまうから。

(046)透明な歌

 涼しい夜。落ち着かない気持ちだから、ちょっこし遠回りをして帰る。心踊る寂しい音楽を聴きながら、足取りは軽やかに。涙なんて流さないわ。ただ少し、なんて言ったらいいかわからないこの気持ちを持て余しているだけ。歌を小さく口ずさむ。どうか空気に透明に溶けて。

(047)大人な彼

 タバコと、大人な香水の香り。スラリとしたスーツと優しい微笑みに夢を見る。彼が私のような小娘に触れているだなんて、いったい誰が思うだろう。女の子はめんどくさいくらいで丁度いい。いい子になんかなるんじゃないよ。そう言って、私の髪を撫でた人。

(048)といかけ

 私のこと好きですか、一緒に居て楽しいですか、窮屈じゃありませんか、距離はあっていますか、鬱陶しいことは、面倒くさいことはないですか。少し頼ってもいいですか、甘えてもいいですか、もし泣いてしまったら抱きしめてくれますか、一人の時に一瞬でも、思い出してくれますか。

(049)止まらない

 泣いて泣いて、止まったとして、息をつけばまた鮮明に、空気を通して肺に、脳に、回る。思い出して、また泣ける。押し込めた嗚咽が苦しくて、辛くなる。そんな夜があったとしてもあなたの前で泣けないわたしを、あなたはきっと愛してくれないのでしょうね。