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「わあ……!」

 アリーはその活気に歓声を上げた。朝通り過ぎた時とは比べ物にならないほどの人、人、人。市場は人で溢れかえっていた。ガヤガヤと人の声がする。道は歩くのも困難なほどにごった返していて、相変わらずの光景を見つつもはぐれたら合流はできないな、とトトは市場を見て目をキラキラさせているアリーを見て思う。

「人がこんなにたくさん……わあっ!」

 感激するアリーの横を人が走り抜けていく。ドンッとぶつかりよろけた彼女をイリグチが支えた。

「これが市場だよ。朝とは別物でしょ? せっかちなのも居るから周りをよく見てね」
「は、はい!」

 市場を歩く人は忙しない。周りをよく見る、と言われてもまだ上手く目を配れないアリーはキョロキョロしてしまう。それに気付いたカイはアリーに手を差し出して笑った。

「私と手をつなぐというのはどうですかな?」
「お願いします……」

 トトとレオは何やら一番前で相談事をしているようだったがそれも一段落したらしく、アリー達を振り返って一つ頷くと、「じゃあ行こうか」と言った。

「どこに行くんですかな?」
「まずは顔馴染みの店。インチキに引っかかってもつまらないしね」
「まあ、しばらくはアリーが一人で買い物に行けるわけでもねーけど、顔しってもらっといて損はねーからな」

 一行はアリーの速度に気を配りながらも迷いなく歩みを進める。先頭のトトは人混みの中をすいすいと上手く潜っていくし、その後ろを歩くレオは長身と目立つ格好で人をかき分けていくものだから、自然カイと手をつなぐアリーの前には通りやすい道ができていた。イリグチも涼しい顔でしんがりを務めてくれているから安心だ。

「アリー」

 手を引くカイが彼女の名前を呼ぶ。アリーは必死に進みながらカイを見上げた。

「あそこの青い屋根と緑の屋根のテントの辺りが目的地ですぞ! もう少し頑張りなされ!」
「はい……!」



 目的地に着いた頃にはアリーの息は上がっていた。服も一層埃っぽくなり、せっかく綺麗に二つにまとめられていた髪も乱れてしまっているが、それを気にする余裕はない。カイと手をつないでいたおかげで転びはしなかったが、もし手をつないでいなかったら転んで流されていただろう。
 何やら前で見覚えのない顔と話すレオを見上げていると、気付いたトトが「大丈夫?」とアリーに声をかけた。

「大丈夫です……市場っていつもこんな感じなんですか?」
「まあ、そうだね。これだけ店が集まってるし、アウトローシティの中心。ここに来れば大抵のものがそろうよ。人も多くて一番安全だけど、タチが悪いのもたまにいるから気を付けて」
「タチが悪いの……?」
「そう。例えば――こういうのとかね」

 トトがアリーのショルダーバッグの方へ手を伸ばす。バッグの向こうの物を掴み、何か捻るような動きをすると、アリーの後ろで「ぎゃあああ!!!」と男の叫び声がした。驚いて振り向こうとするアリーの肩をカイが掴み、引き寄せる。次の瞬間、アリー目の前ではトトが自分よりも背の高い男の手を捻り、引き倒し、踏みつけていた。

「大丈夫だった?」

 イリグチがアリーと同じ目線までしゃがんで問う。アリーはわけもわからないまま頷くしかできないで、トトを凝視していた。

「子供から何を盗ろうっての?」
「いてぇ!!! 離せよ!!!」
「いてぇじゃないよ」

 痛がる男をより踏みつけ、トトは「相手をよく見てやるんだね」と一声かけて彼を蹴飛ばした。男は一目散に走り、あっという間に人混みに紛れてしまう。

「相変わらずトト殿は容赦がないですなあ……」
「カイも最初手酷くやられたんだもんね」
「傷口を抉らないでくだされ……」

 げんなりした様子でカイが言う。その腕の中でアリーは徐々に落ち着いてきて、自分は今荷物を盗られそうになったのだとゆっくり理解した。トトが言う"タチが悪いの"とはこういう人のことなのか、と彼女は思う。今までの彼女の周りでは考えられないことだ。いつもなら彼女はお屋敷の中にいて、怪しい者は門番が追い返してくれる。彼女が直接危険にさらされることはない。けれど、ここは違うのだ。アウトローシティはこういう街。聞いてはいたけれど、身をもって実感するのは初めての体験だった。

「お嬢ちゃん、大丈夫かい」

 後ろから大きな声が聞こえた。低く気持ちのいい声に振り返ると、そこには虎のように黒と黄の交じった髪をした、虎のような男がいた。ごつごつした筋肉質の大きな体格。よく見ると頭にこれまた虎のような耳がついていて、頬には大きな傷がある。彼の上にある青い屋根は、さっきカイが指した目的地の色だ。

「ビックリしたろう、ここはこういう街だからな。まあ、万事屋が付いてんなら安心だ。トトとレオは喧嘩慣れしてっから」

 そう言って彼はアリーに手招きをする。アリーがカイとイリグチを見ると、二人ともが行っておいで、と笑顔で頷いている。恐る恐る店の方へ近寄っていくと、大きな手がアリーの頭をぐしゃぐしゃと豪快に、しかし優しい力で撫でた。

「レオから話は聞いたぜ。俺は魚屋のトライチってんだ。魚買うならウチに来な」

 見た目の割に人の好さそうな笑顔で彼が言う。まだついていけていないのかキョトンとしているアリーは、横に立っていたレオを見上げた。

「俺等の馴染みの店だ。これからよく来るから、覚えときな。で、横の緑のテントが」
「ヤッホー! 初めまして、八百屋のウマヒコっていうんだ、ヨロシク!」

 今度はハイテンションな馬が話しかけてくる。馬だった。人間の体に馬の頭が付いている。アリーはまた困惑するが、後で誰かに聞いてみようと自分を落ち着かせることに努めた。若い声をしているが、馬のマスクを被っているため年齢がわからない。とにかくテンションの高い人だと彼女は思った。

「まあ、覚えとくだけでいいからな。二人ともありがとうな」
「なんだよ今日は買っていかねーのか? なあトト。お前魚好きだろ」
「好きだけど、まだ寄る所があるから後で来るよ」
「お、そうか。まあ来たばっかりだもんな。じゃあいい魚とっといてやるよ」
「よろしく」

 「いくよ」とトトがまた先頭に立つ。カイは何も言わず笑顔でアリーに手を差し出した。アリーはしっかりと「トライチさんと、ウマヒコさん」と二人の名前を頭に刻んんで、トトとレオの歩みについていった。
 この街には自分の常識なんて通用しないのだと、アリーは改めて思った。
(2015/12/31)