これは本心 1
「好きです!」

 そう伝えている少女が目に入り、私ははあ、と深いため息をついた。外で起きているイベントが何なのかわからないほど子供でもないが、気を使ってやるほどの義理もない私は、外を眺めることをやめない。甘ったるい空気。私には縁のないものだな、と思いつつ。

「どうしたの?」
「田島さん」

 図書室で司書をしている彼女が、私を見て首を傾げる。長い髪がさらさらと肩から滑って落ちていった。ああ、今読んでいた小説に出てきたヒロインも、こんなふうに髪が長かったな、と思う。

「……あらあら、甘酸っぱいわね」

 私の視線の先を認めて、彼女はほんのりと頬を赤らめた。
 田島さんは可愛らしい人だ。休日なんかに一緒に出かけたりすると、同級生同士に見られたりする。しっかりしているようでいて、所々抜けている行動を見ているときは和やかな気持ちになった。きっと素敵な恋をして、素敵な恋人ができるだろう。それは恐らく、パッと燃え上がり、消沈していくようなものではなく、緩やかに、穏やかに長く続く幸せの炎だ。

「青春って感じね。しゃらちゃんは、恋とかしてる?」
「してないです」
「ええ、勿体無いよ。……あら、相手の子、また彼ね」
「……」
「環日向くん、だったかしら」

 ああ、相も変わらず無駄にキラキラしているな、とクラスメイトに対して息をつく。彼はきっと、燃え盛り消えていく恋をするのだろうと思いながら、入学当初から後を絶たない告白を、彼が受け入れたことがないということに違和感を拭えないでいた。
 王子様みたいね。
 彼をそう評価する人間は、二年たっても途絶えはしなかった。何の因果か、一、二年と同じクラスになってしまった私は、確実に“合わない”彼を見ているだけにとどまっている。

 私は無愛想の部類に入る。
 決してよいとは言えない目つきを和らげるためにしている黒い縁の眼鏡は、いわゆるオシャレ眼鏡というわけでもなく。そのイメージからだろうか。クラスの中では真面目そうに見えるがゆえに環と学級委員長をやってはいるが、会話といえるだけの――お互いに踏み込むような、そういう言葉達を交わしたことは一度もなかった。

「私これから会議だからここ出るけど、しゃらちゃんは? もう少しいる?」
「……いえ、帰ります」

 本来なら司書のいない放課後の図書室は生徒がいるべき場所ではないのだけれど。それも彼女が抜けているからなのか、私が信用されているからなのか。とりあえず他の教師に見つかっては面倒だと、大して広げてもいなかった荷物をカバンの中にさっさと詰め込んで、私は席を立った。高校に上がりたてのときは、毎日司書が来て毎日開いている図書室に驚いたけれど、今となっては、焦ることもなく「明日も開いているのだから」と言ってしまえる環境を嬉しく思っている。

「じゃあ、また明日ね」

 女性らしい柔らかな笑みで言う田島さんにペコリとお辞儀を返してから、下足室に向かう。
 夕方の微妙な時間帯。外からは野球部がランニングをしている声がしている。ようやく日が長くなってきた今の時期、もう落ちかかった夕日に浮かぶ黒い影を見ていると、青春っぽいな、と思う。まるでひとごとで、羨ましく感じてもその輪の中に入りたいとは思わない。彼等は私から見て額縁の中の人物のようだった。

(私は、あんなに熱くはなれない)

 それは自分の性質だと理解している。同級生の彼女等が、“王子様”に現を抜かすのも理解できない感情の範疇だ。例えばおそろいのストラップ、例えば先輩後輩との部活動、例えば彼氏彼女――例えばそれは“恋愛”。

「白藤」

 いつの間にか止まっていた足に呼ばれて気づき、視線をずらす。進行方向にいた彼は、さっきと違わずキラキラとしていた。「環」。意識せず出たのは彼の名前で、それに気づいた彼はへにゃりと情けない笑顔を向ける。そんな顔をしてもバックはキラキラのままか。それに呆れを通り越して尊敬の念を抱きつつ、私は再び下足室へ足を進める。

「ねえ、白藤」
「何」
「確か、家同じ方向だったよな」
「……そうなの?」
「うん、そう。あのさ……悪いんだけど、一緒に帰ってもらえる?」

 へにゃり。それでも綺麗な顔を私に向け、彼は本当に困ったように眉を下げた。彼は「はあ?」という顔になっているであろう私を見るが、私には彼の意図がさっぱりわからないのでやっぱり「はあ?」のままだ。

「コンタクト、落として」
「目悪いんだ。……どれくらい?」
「0.2、とか」
「大分だね」

 ふ、と時計に目をやると、五時を少し過ぎたところだった。部活が終わるには、少なくとも後三十分はかかる。家が同じ方向ということを環がなぜ知っているのかはわからないが、駅とは正反対の場所にある徒歩圏の私の通学路を知っているということは、彼も徒歩圏内に家があるのだろう。

「いいよ。送る」
「ごめんな。女の子なのに」

 その一言に吃驚し、私は彼の顔を凝視した。目を丸く見開いて、思いっきり顔に出ていたと思う。だけど目の見えない彼は動作を停止した私を不思議そうに見て、「どうかした?」と問うた。「女の子なのに」、なんて言われるとは思っていなかっただけにその驚きは大きかったが、落ち着け、目の前の男は“王子様”なんだと自分に言い聞かせる。やっと落ち着いた肺で浅く息を吸い、「何でもない」と環の足下に気を配りながらも、私達は歩みを進めた。



 王子様と言われるイメージのわりに、環は落ち着いた話し方をした。彼が何気ない話をするが、話題が途切れても私が話を振らないのでしばらくの間沈黙が続く。居心地の悪さを感じているのだろうな、と視線で横の環を見ると、気づいた彼はたいそう幸せそうに笑ってみせた。なるほど、女子はこういうのにやられるのか、とぼんやり思う。

「……今日も告白されてたね」

 ポツリ、と。決して大きな声ではないが、それは私が初めて彼に対して行った、確かなコンタクトだ。それに驚いた彼は「え」と素っ頓狂な声を上げる。

「あの場所、図書室から丸見え」
「そうなんだ。……ってことは一昨日とかも見られてた?」

 私は思いっきり顔を顰めて環を見る。「あんた等が勝手にあそこで色気づいたイベントに勤しんでるんでしょ」と自分でもわかる辛口は、私の思ったことそのままだ。やってしまった、と思ってももう遅く、目つきの悪さに相乗効果で悪印象を与える発言をしたことを悔いたところで何にもならない。あえて視線を彼から逸らし、深いため息を飲み込んだ。空気に味などあるはずがないのに、それは酷く苦い。その苦さにまた、眉間のしわが増える。

「白藤はさ、俺のこと好き?」

 信じられない発言が聞こえたのは、その瞬間だった。
 パッと彼の顔を見てみると、それはもう清々しいほどの自信に満ちた顔。自分の顔は、自分の素行は、人に好かれているという確かな自信のにじみ出た目。

 高慢で不遜で――酷く、不快だ。

 “王子様”だと、長年言われて本当にそうだとでも思ったのだろうか? 自分を嫌う人間などいないと思っているのだろうか。自分の人付き合いの上手さ故に、無愛想で友達が多くはない私を見下しているかのように見えた。

(やっぱり)

 私と環は根底から合わないようにできているのだ、と頭の中の冷静な部分が苦笑交じりに言う。合わなくたってどうということはないけれど、と私の性格が語る。
 ああそうだ。私は環を――

「率直に言って嫌いだよ」

 そう言った私を見て、心底信じられないものを見たかのような顔で呆ける環を、私は心の中で嘲笑った。
(2012/02/27)