これは本心 2
「環」
「うん?」
「うざい」

 「えー」と苦笑して言う環は、本当に鬱陶しかった。

 「嫌い」なんて面と向かって言われたことはないだろう彼は、そう言った私に興味を持ったようだった。適当に愛想笑いでもして適当にあしらえばよかったと思ったところで後悔は先に立ってはくれないし、それが出来るなら私にだってそれなりに友達ができているだろう。「はあ」と盛大なため息をつく私を見て田島さんがクスクスと笑う。昨日環が初めて図書室を訪問したとき心の底から驚いていた田島さんだが、今はもう流石に気を持ち直したようだ。他の誰もいない図書室は本来なら静まり返っているはずの場所であるというのに、環がきたことでそれは惜しくも霧散する。ああ、やっぱりこいつは嫌いだ、と私は心の奥底で断言した。

「煩いから出てって」
「喋ってないじゃん」
「外、見て」
「外?」

 ここから見えるのは体育倉庫だ。彼が四日前に告白されていたのもそこである。運動部が準備をし終えると人の往来はほぼゼロになる場所だから都合がいいのだろう。その分にはまあいいのだ。告白なんて、大声でしたいと思う人はそういない。今問題なのは、今日はやけにゆっくり準備をしている女子運動部の生徒達だった。

「外がどうしたの?」
「視線鬱陶しいから。何でもいいけど出てって」
「えー! 白藤酷い!」
「しゃらちゃんたら……」

 あまりに言われて、でも少々大袈裟に反応する環はやっぱり今までで一番喧しい人種だ。無視されているのだから、放っておいてくれと言っているのだから、干渉しなければいい。それをこの男は何を思って私に構うのだろう? 複雑怪奇とはこういうことを言うのかと、頭の中で深く頷いた。

「しゃらちゃんって?」
「あっ……」

 普段生徒の前で私を“しゃらちゃん”と呼ばない田島さんがしまったという顔をした。真面目な彼女は生徒を特別扱いするなんて、と人がいるところでは“白藤さん”と呼ぶ。私のことをあだ名で呼ぶのは田島さんくらいで、私も他の人に呼ばれたいと思ったことはなかった。私が中学に上がってからうちの近所に越してきた彼女と私の仲がいいことなんて、きっとこの学校の誰も知らない。

「あの……」
「……もういいよ」

 呆れたように見ると田島さんは少しほっとした顔をして、申し訳なさそうに「ごめんね」と言った。私は別に何も気にしてはいないが、彼女は私が同級生と関わるのを嫌がっているように見えると言うからその辺りが理由だろう。元々田島さんがきちんと切り替える人だから、私も切り替えていただけの話で、私も学校内でしている敬語をさっさと取り払った。

「白藤さんって、詩也羅ちゃんって言うじゃない?」
「白藤のあだ名なんだ」
「うん、そうなの」

 相変わらず、可愛いな。
 田島さんは照れたり恥ずかしくなったりするとすぐに赤くなる。そういうところも女の子らしくて、年上なのにどこか危なっかしい彼女を、私が珍しく好いている理由だ。いやらしくない可愛らしさ。天然の、作っていないそれは、同級生の中ではそうそう見られるものではない。何より、今の彼女は私の前で嘘をつかない。

「しゃらちゃん」

 田島さんとは違う声。フッと、思いっきり眉間にしわが寄る。

「……」
「うわ、不快感丸出し」
「不快だからだ」
「オブラートオブラート」
「もう包んでるよ」
「マジで!?」

 「俺の印象そんなに悪いか!」と心の底から驚いたような環の声がまた癇にさわる。なんなんだこの男は。私のことは一人にしてくれと、この周りにまとった空気がわからないのか。おそらく環は承知の上で絡んでくるのだと思う。だから、そういうところも苦手だ。

「何で田島さんだとよくて俺だと駄目なんだよー」
「……環は、自分が誰にでも好かれてると思ってる」
「うん?」
「そういう厚かましさがまず嫌いだ」
「……まず? まだあんの?」

 少し不安そうな声を出した環を見る。困ったような顔になっているそれは、やっぱりどの角度から見ても美形だ。顔はいい。それは認めると、私は偉そうに思う。対して私は、鋭くて感情が見えないと言われる目を半分だけ開けて環を睨むように見た。

「一から全部言ってほしいの?」
「……遠慮しておきます」

 「そんなに悪いのか、そうか」。小さく呟いた彼に、流石に可哀相かと思ったけれど、私は聞かないふりをして席を立つ。

「あれ、しゃらちゃん帰るの?」
「環、鬱陶しいから」

 田島さんも「そんなに?」と苦笑して、でも私の性格を知っているから仕方がないと思ったのか、「じゃあまた明日」と綺麗な笑顔で送り出してくれた。





「環君、しゃらちゃんに嫌われてるわね」
「なんでかなあー……」
「うーん……軽い感じがするから?」
「田島さんも酷い!」
「そうかしら」

 「本当は君、わかってるんでしょう」と笑う田島さんはエスパーか何かなのかと思った。でも考えてみれば俺よりも白藤よりも長く生きているんだから、俺達の考えることなんて手にとるようにわかるかもしれない。とくに俺なんかは、浅くて陳腐な不安に駆られ、彼女が言う“軽い感じ”に見えるような行動をとることになっているのだから。そんなのを経験するのはきっと誰しもだ。

「人に嫌われるのは怖いわね」
「……やっぱエスパーだ」
「私もそう思ってたことあるもの」
「田島さんも?」
「愛想笑い、疲れるでしょ」

 田島さんの笑顔は“本物”だ。愛想笑いの上手い俺にはよくわかる。だけどそれが昔の話だと言うなら、彼女は今本当に心穏やかなのだろう。羨ましいと思うのは、俺がまだとんでもなくガキで、どこまでも臆病だから。

「私も最初はしゃらちゃんに嫌われてたなあ」
「え!」
「しゃらちゃんと会ったの、あの子が中学生のときだから――もう三年になるのかしら。言われたもの。“何が楽しくて笑ってんの?”だって」
「……鋭いですね」
「うん。素直になってみたら、“そっちのほうが可愛いよ”って言われたの。ドキッとしちゃった」
「……」
「しゃらちゃん、嘘つかれるの嫌いよ?」

 首を傾ける。肩から滑り落ちる綺麗な黒髪に、心底穏やかな笑顔。魅力的な、可愛らしい人。だけど初めから――軽く接しているように見えて初めから、俺は素っ気無くて無愛想な彼女のことが気になって気になって仕方がなくて、話しかけるだけで伴う緊張感は他の誰にも持ったことがない。『嫌われるかも』。そんな先入観からくる不安ではないそれは、気を抜けば上に上に血が巡ってしまいそうなものだ。

「俺、白藤好きです」
「言う相手間違ってるわよ」

 苦笑した田島さんは俺の頭を優しく撫でた。「しゃらちゃんもまだ子供よ」と、苦笑して、俺の背を押す。大人びていて、でも時々このまま社会人になって大丈夫なのかと思うくらい人付き合いが苦手な白藤は、到底恋愛なんて言葉と結びつく奴じゃない。わかっていても、好きなものは好きだ。仕方がない。何で構うのかなんて、やっとのことで構うきっかけができたから。ただそれだけだ。鬱陶しがられないなら、あの口から“合わない”なんて言われないなら、きっかけなんてなくても構ってたさと何度も心の中で思う。きっかけがあっても結局は全部実行されてしまったわけだけど。

 この間送ってもらったから道が同じ方向なのはわかっている。長く感じた田島さんとの会話は五分程度しか時間を要していなかった。今から走れば間に合うか? 田島さんにお礼を言い、靴を履き替えて学校を出る。
 顔も性格も、白藤よりもいい女の子なんて多分そこらにいっぱいいるんだ。普通の容姿、人付き合いの苦手な内面。いいところってどこ? と言われても俺にだってわからない。だけど俺は今、とにかく彼女への愛を叫びたくてたまらない。

「白藤!」

 見えた背中はあの日の俺が頼ったそのままで、ただコンタクトの入った目はあの日よりもそれを鮮明に捉える。心底迷惑そうに振り返った彼女の表情は眉間にしわを思いっきり寄せていて、でも俺に見せるのなんて八割かたそんな感じだからもう気にならなかった。この二日で散々「合わない」「嫌い」「鬱陶しい」と言われてきたのだ。今更へこたれたりもしない。

「何、環」

 それでも一応律儀に聞くんだな。そういうところが好きなんだって、へらへらして言ったところで白藤は迷惑そうに顔をしかめるんだろう。いい加減わかってきたよお前のこと。
 深く深呼吸をすると、白藤の眉間のしわが少し薄くなった気がする。気のせいか? 気のせいじゃなかったら、嬉しいよ。

「環、」
「本気で言うから本気で聞けよ?」
「え、」

 白藤の声が反論する前に空気を吸い込んで、

「好きだ!」

 言葉と共に吐き出した。
(2012/03/03)