うらうら
「くしゃん」
「……」
「くしゅっ……あーもう……ティッシュティッシュ」

 本を読んでいた彼女は、無表情ながらも不思議そうな顔で私の方をチラリと見る。相変わらず、無表情なのに感情がわかるなんて器用だなあ、と思うのだけれど、そんな考えを吹き飛ばすのは花粉によって引き起こされる私自身のくしゃみだった。

「何、風邪?」
「んーん。花粉症」
「あー……ヨーグルト効くって言うよね」
「え、本当?」
「知らない。私花粉症じゃないし」

 幼馴染の他人事全開な態度ににムッとした春の私。花粉症とハウスダストに悩まされ、教室の中にいるのに嫌気がさして昼食を中庭で食べている。隣にいる幼馴染を当然のごとく巻き込んで。





 何でわざわざ私まで巻き込むかな、と思ったけれど、それを口には出さなかった。別に嫌なわけではなかったし、なによりもクラス替えによって揃った見知らぬ面々相手のよそよそしさが無性に気持ちが悪かったのだ。廊下ですれ違うくらいはしていたかもしれないし、なんとなく見たことのある顔も見つけた。しかし言葉を交わしたことはない。高校にもなるとクラス数はぐんと増えてしまって、学年全ての人の名前なんて到底覚えられそうにもないのだから仕方がないかもしれないが。
 そんな中変わらない彼女の存在は、結局私にとっては“楽”な場所なのだろう。付き合いの長さは同級生の誰とも比べ物にならない。それこそ生まれたときから、なんてのが正しいくらいの年月を、彼女と共にしている。それは私が望んだからでも彼女が望んだからでもなく、周囲の環境と言うのも何か違う気がして、言葉にするのは難しかった。私達から見て一番近いのは“運命”というやつか? 自分ではどうすることもできない、決まっているように見える道筋のようなもの。
 ボーっと考え込んでいると、気づいたときには彼女が隣にいなかった。一瞬教室に帰ったかと思ったが、次の授業まではまだ二十分もある。昨日埃の舞う教室の中で「目がしょぼしょぼする」と目薬を忘れてきたことを嘆いていた彼女がその場所へ帰っていくはずがない。そう思って辺りを軽く見回すと、少し離れた自販機の方からスカートを穿いた人影が駆け足で向かってくるのが見えた。

「はい、あげる!」
「何これ、ヨーグルト?」

 “飲むタイプ”と書かれた紙のパックを受け取る。何で今ヨーグルト、と思ったが、「花粉症にはヨーグルトが効くらしい」という話をさっき私が彼女にしたばかりだ。なるほど、単純で一直線な彼女らしい。

「本当かは知らないって言わなかった?」
「でも聞いたら飲みたくなった」
「何それ」

 私も彼女も気分屋なのは似たり寄ったりだ。他の人間相手になら合わせる方が多い私達は、お互いの前ではそういうことをしようとしない。加減も何も知らないうちからの付き合いなのだからそれも当然かと思っている。結局は惰性なわけだけれど、お互いにとって苦ではないのだからそれがベストな状態なのだろう。この関係は、私が唯一“変化しなければいい”と思うものだ。

「次、授業何だっけ」
「英語ー」
「あんた、今日当たるんじゃない」
「え!」

 「鼻ぐずぐずなのにどうしよう」と鼻にかかる声で言い、わたわたし出すその様子は幼い頃から何も変わらない。すぐ顔に出るその性格を、私はいつだったか羨んだことがある。今更そうなろうとは勿論思わないし、自分がこうならすかさず気持ち悪いとちゃちゃを入れるのだけれど。

「しかも間違ってたりしたらもっとはずかしい!」
「そうか、頑張れ」
「えええ! あんた英語得意でしょ! 見せて!」
「やだ」
「けちーー!!」

 いーだ! と歯を見せる彼女は本当に高校生かと疑いたくなるほどだ。飲み干したパックの糊付けされた部分を綺麗に剥がして畳む。ストローはその中に押し込んだ。一向に飲むタイプのヨーグルトがなくならない彼女に、「あんまり遅いと放って行くよ」と言うと、慌ててストローからヨーグルトを吸って咽る。馬鹿落ち着け。内心そう言いながらも背をさすると、彼女はヘラッと笑ってみせた。
 これで彼女は、私よりも二ヶ月と七日お姉さんだというのだから、年齢なんてものは当てにならないんだな、と私は毎度毎度思う。まあ、二ヶ月と七日程度で差ができることなんて早々ないとは思うが。

「花粉症、治まった?」
「んー……まし、かなあ?」
「ましになったと思ってればましになるもんだよ」
「何かおまじないみたいだね」

 「そんなもんだよ」。そう返して欠伸を一つ。いい天気だな、と思いながら目を瞑った。「眠いの?」と私よりも高い彼女の声がして、十五分寝る、と返事の代わりにそれだけ告げる。クスクスと空気を渡るくすぐったい音がして、彼女が「りょーかい」と笑った。
 午後の授業まで残り十七分。三階にある二年の教室までは、十五分寝ていても階段を駆け上がれば余裕で辿りつく。彼女が起こすのを忘れなければ、出された英語の宿題の、答え合わせくらいは手伝ってあげよう。そう思いながら、私は近頃ポカポカと温かい気温の中で、ふんわりと眠りの海へ落ちていった。
(2012/04/28)