いつもの、夏
「海行かない?」

 そう言った幼馴染をチラリと見て、彼は「行かない」と興味なさ気に言い放った。



 インドアにもほどがある。私はそう思いながら、予想通りの回答に笑いをこらえた。返事が予測できてしまう。その付き合いの長さを再確認した気分になって、自然と顔が綻んだのを、隠すことはしなかった。

「そのままじゃ引きこもりになるよ」
「この暑い中、何でわざわざ外に出ないといけないのかわからない」
「海入ったら涼しいんじゃないの?」

 その質問に彼は、「幼稚園以来近寄ってもないのにわかるはずないだろ」と返した。尤もだ、と持っていたコンビニの袋をちゃぶ台の上に置いて、そこで本を読んでいる彼を横目に、買ってきた炭酸飲料を開ける。プシューっと音を立てて炭酸が抜けていくのを見て、ペットボトルに直接口を付けた。甘い。それを見た彼は文字を追っていた視線をずらし、初めて私を真正面から見た。

「俺にはないの」

 可愛くない奴。
 ふてぶてしい言葉に眉を寄せてみせるが、相手からは何のリアクションもない。催促するような目が、そいつの黒縁眼鏡越しに「早くしろ」と言っているだけだ。

「ん」
「ども」

 ありがとう、くらい言えないのか。
 人付き合いがとりわけ苦手で、夏休みに友達と遊びに行くなんていう話すらここ数年聞いていないような、そんな相手だ。確かにこの性格についていくのはとても面倒くさい。そして本人にそれを直す気はさらさらない。そもそも人付き合いなんてするつもりはないのかもしれない。
 彼には人が今の社会で生きていくためには他人と関わらなくてはならないことも最低限理解できている。だから最低限しか関わらない。それは本人が何年か前に認めていた。中学校に入って、すぐくらいだった。

「今年も駄目か」
「お前、誘ってくるけど自分も行くつもりないだろ」
「うん」

 はあ、とため息をつかれた。呆れられている。でもあまりムカッときたりはしなかった。私の方が日常的に呆れてる回数が多いのも事実だ。ため息はあまりつかないけど。この幼馴染――鳴海の言動に一喜一憂していては、いくら幸せがあったとしても尽きてしまう。

「ごめんね。鳴海みたいに頭よくなくて」
「嫌味?」

 水分補給すら面倒くさがっていたのか、さっき渡したばかりのペットボトルの中身はほとんど空になっていた。この分じゃ、多分昼ご飯も食べてないんだろうな、と思ったが何もしない。
 鳴海とは幼稚園よりも小さい頃からの付き合いで、相互の家の事情は大体把握している。彼の両親は、彼が夏休みに入ってすぐの一週間は毎年夫婦旅行だ。息子とは違って活発な人達だから。その間の鳴海の生活と言ったら日ごとにてんでバラバラで、起きたいときに起きて、寝たいときに寝て、食いたいときに食う。言葉通りだ。一応掃除洗濯はやってるみたいだけど、やる気の片鱗もない高校生男子の家事なんてろくなものにはならない。夕飯だけはうちの家に食べにくるけれど。

「……腹減った」
「袋にパン入ってる」
「何?」
「いちごジャムパンとか」
「甘」
「文句言うなら食べなくていい」

 いや、食う。素っ気無く言ってジャムパンを頬張った。文句は言ったが、鳴海は私よりも甘党だ。流石にお腹も空いていたのだろう。パクパクといつもよりも速いペースで食べ終えて、コンビニの袋をまた覘く。

「チョコパン……」
「……食べれば?」

 両親が旅行中の鳴海は、甘い物を眼前にチラつかせば誰にでもついていきそうで正直気が気ではない。世間知らずでもないし、高校生の男子なんだから大丈夫だと私の両親も彼の両親も言うけれど、私からしたら鳴海は双子の姉弟のような存在だから余計。
 私以上に白い肌も、どれだけ食べても太らない体質による細い体も、男にしては少し長い繊細な髪も、全てが放っておけないように見えてしまう。自分でも心配しすぎだとは思うのだけれど。

「ねえ、今年は夏祭り行くの? 一週間後だけど」
「嫌」
「あ、そ」
「……千夏は?」
「ん?」
「千夏は行かないの」
「だって鳴海行かないんでしょ」

 正直、私だって友達は多い方ではない。同級生の女の子達と話が合わないのだ。だからと言って積極的に男子と話すわけでもないし、今私を見て眉間にしわを寄せている幼馴染よりはましだけど、交友関係は広くない。

「……りんご飴」
「買ってこないよ」
「ケチ」

 私よりも十センチも身長が高い高校生男子がケチとか言っても可愛くない、と言ったら別に可愛さなんて求めてないと言われた。だけど私と違って彼は美形なのだ。可愛くないとは言ったけど、本当は結構可愛い。

「じゃあ、りんご飴だけ買って帰ってこよう」
「え、鳴海が外に出るの?」
「お前、俺を何だと思ってるの」
「引きこもり」
「……」



 家の玄関を出ると、白いTシャツにぶかぶかしたジーンズという、本当にいつもの格好をした鳴海がいた。あまり家を出ないから日差しに滅入ったのか、古風な自宅の玄関に座り込んで下を向いている。

「鳴海、随分暑そうだね」
「……蒸発する」
「今日は涼しい方だよ」
「インドアなめんなよ」

 私だってインドアだよ、と反論したくなったが、鳴海よりはましか、と考え直す。そういえば、昼ご飯にパンとかを差し入れていたのは私だ。少なくとも昼食を買いに外に出るという時間が減ったし、向かいにある私の家に来る間にどれほどの日を浴びるというのだろう。甘やかしすぎたか、と少しの後悔をして、青っ白いと言っても差し支えのないような彼の肌を見る。

「何してんの」
「肌の色比べてる」

 腕と腕を近づけて見て見ると、鳴海は本当に白かった。病人か、というほどではないが、少なくとも健康的ではない。これは夏休み中にどこか外出させたほうがいいかもしれない、なんて親のようなことを思って、いこうか、と早くもダウンしそうなその頭に声をかけた。

「りんご飴二つとコレください」

 鳴海と私が夏祭りに行かなくなって、もう三年は経つ。小学生の頃は欠かさず行っていたが、それも徐々になくなっていた。久々に顔を出した地元のお祭りは屋台の数こそ増えていないものの、店の中身は少々進化しているようだ。りんご飴の屋台で見たぶどう飴を見てわけもなく感動して思わず衝動買いしてしまった。
 りんご飴が欲しいと言った本人は、夜でも容赦のない夏の蒸し暑さと人の熱気にやられてダウンしている。丁度目的の店の近くにあったブランコの一つを陣取って、玄関先でやっていたのと同じように下を向いていた。情けない奴……と呟いて横の屋台に移動し、缶のジュースを二本買う。

「鳴海」
「っ……?」

 ピトリ、と冷たく湿った缶を首筋に押し付けると、よっぽど驚いたのか目を真ん丸くして私を見上げた。これだけ近くにいて気付かないなんて、相当参ってるな、と苦笑して、りんご飴を渡す。

「どうする? 帰る?」
「帰る。もう嫌だ」

 人多い。暑い。気持ち悪い。単調に恨み言を言って緩慢な動作で立ち上がる。動きの隅々から気だるさが伝わるようで、情けないなあ、と心の中でもう一度思った。

「おんぶしてあげようか」
「今の身長差じゃ無理」
「十年若かったらいけたのにね」

 ほんとだよ、と本気で頷いた鳴海にとって、女におぶってもらうということはそれほど問題ではないらしい。せめて身長が同じくらいだったら担いでやったのに、といつからか自分よりも高くなってしまった彼の頭の位置に少し寂しさを覚えた。前は並んでいたら、同じくらいだったのに。十センチも差が付くなんて考えてもみなかった頃のことを思い出して、あの頃はこんなに引きこもってなかったのになあ、と妙に感慨深くなった。



「それ、何?」
「何か売ってた。ぶどう飴だって」
「今そんなのあんの」
「三年の間に増えたね」
「……ちょっと頂戴」
「はい」

 案の定、鳴海はぶどう飴に関心を示した。特別不味いということはないとは思うが、味がわからないものだったので一つしか買わなかったが、二つ買ってきてもよかったかもしれない。

「結構いける」
「ね。甘い」
「太るよ。何なら俺がもらってあげるけど」
「欲しいなら欲しいって言えば」
「欲しい」

 家に帰ってきても蒸し暑さはあるが、人がいないだけ涼しかった。子供が二人そろって出かけたからと、両家の親は私の家に集まってお酒を飲んでいる頃だ。今家に帰ると、酔っ払いの大人に絡まれかねない。
 鳴海の家は木造で、結構古い。だからか知らないけど、自宅よりも涼しくて酷く落ち着いた。縁側でだらーっと寝転がって、花火が上がるのを二人で待つ。
 今年高校生になって、私はわりと高校生活にも慣れてきたつもりだ。多分、鳴海もクラスの雰囲気くらいには慣れただろう。可愛い子とかいたかな。そういう話、全然しないけど。もし鳴海が女の子と付き合ったら。もし私が誰かと付き合ったら、今の生活はなくなってしまうんだろうか。十六年生きてきて、その大半の記憶に彼がいるのに、それはあまりにも無茶だと思う自分がいる。

「鳴海さ、恋人とかいないの」
「いないけど。いたら千夏が気付かないわけないだろ」
「そっか。そうだね。……片方に恋人できちゃったら、あんまりこうやって遊んだりできないかな」
「さあ……何、彼氏ほしいの」
「いや、別に。でもできるかもしれないし」
「え、お前に?」
「そんなにおかしいか」

 悩んでしまうくらいなら聞けばいい。いつだったか、鳴海が私に言った言葉だ。お前は考えすぎるから、考え込む前に聞け。それからは言われた通り遠慮なく訊ねているけれど、そんなに笑わなくていいだろう。
 食べかけのりんご飴は、もう口に入ってしまうくらいの大きさになっていた。彼はそれをくわえて本を閉じる。

「誰か好きな人でもいるの?」
「や、全然」
「千夏って人見る目ないから心配なんだよね」
「じゃあ、もし彼氏ができたら鳴海のところに連れてくるよ」
「何それ」

 確かに自分に人を見る目があるとは思っていない。その点に関しては鳴海の方がいい目をしているかもしれない。私よりも交友関係は狭いのに。

「たとえば私に彼氏ができたとしたら、ま鳴海にまず会わせるから見極めて」
「嫌いなタイプだったら門前払いするよ? 君に家の娘はやりません、とか」
「お父さん話くらいは聞いてあげてください。……じゃあどんなタイプがいいの」
「俺みたいな」
「そんなの鳴海しかいないよ」
「うん」

 珍しく。本当に珍しく微笑んで、彼が私を見る。

「俺でいいじゃん」

 十六年。生まれてきてから今までの記憶に、鳴海が入っていないことはなかった。向かいの家で、親同士も仲がよくて、彼の面倒くさい性格も何もかも、私が付き合ってられるのは慣れと惰性だと思っていた。お互いにとって幼馴染で、それ以上でもそれ以下でもないと。面倒くさがりでやる気がなくて、気付いたら本ばかり読んでいる。人付き合いが嫌いな人だから、一緒にいていいムードになることもなくて、当然そんな言葉を言われることもなくて。
 それなのにそんな風に似合わないことを言うから、私は思わず笑ってしまった。
 好きだった。その心地いい空間が。それがこれからもずっと続いていくなら幸せだと思う。

 いくつかの屋根の向こう。祭りの光が明るい辺りに、一つの花火がそれより更に明るい光を放った。
(2012/07/15)