神様と狛犬
 中学の頃、胡散臭い占い師に言われたことを思い出して、一人ため息をついた。



 親友が死んだ。

 元々体は弱かった。入退院を繰り返すなんていつものことだったし、学校に出てきても体育には出られない。ガキの頃からそんな感じで、周りの大人は気持ち悪いくらいにアイツの事を大切に大切に扱っていたと思う。アイツがそれを好んでいなかったのは、多分俺だけが知っていることだ。
 小さい頃から部屋の中で本ばかり読んでいた俺と、体が弱くて外に遊びにいけないアイツ。そんな俺達は幼稚園のときから、休み時間には二人で教室の中にいることが多かった。少しずつ話すようになり、一緒に遊ぶようになり、いつの間にか親友と呼べる存在になっていた。惰性だったと思う。だけどだからこそ、なるべくしてなったような気にもなる。
 弱かったのは心臓だった。長生きはできないと、生まれたときから言われていたらしい。十五年生きたのだから頑張ったよ、と主治医の悲しそうな笑顔が今でもこびりついて離れない。それでもやっぱり両親は泣いていて、見知った顔の大人が泣いているのを見るのはなんだか酷く居心地が悪かった。だからだと思う。葬式の後、挨拶もそこそこに家へ帰ったのは。
 玄関口の白い小皿に塩が小さく盛られているのを見て、ここまでアイツの死が付きまとうのかと思うと気が滅入る。鍵を開けて家に入ると同時、乱暴に靴を脱ぎ散らかしてトイレに走り、吐いた。ジャーッと水の流れる音がする。いつもと変わらないはずなのに、ぼやけた感じがして上手く聞き取れなかった。
 額からにじみ出る汗の不快感だけが気持ち悪いくらい鮮明で、その場で重い瞼を閉じてしまいそうになる。
 遠くで玄関が開く音がして、あれ、玄関とトイレってこんな遠かったっけ、と開けっ放しの扉を見て頭が働いたが、まともな解答なんて導き出せやしなかった。帰ってきた姉はいつもなら怒る靴の脱ぎ散らかしに一切触れることなく、俺を見て血相を変えた。

 その日のことはそれ以上覚えていない。



 次の日、母に心配され、父に休んでもいいんだぞなどと言われながらも学校へ行った。学校まで車で送ることを姉は頑として譲らなかった。
 心配をかけてしまっている。
 大事に大事にされるのをお前が嫌がったのは、こんな気持ちになるからだろうか。「心苦しいな」と空を仰いだ。天国も地獄も信じてなどいなかったが、死者を思うのに空を見上げる以外の方法が思いつかなくて。

 教室に入ると目眩がした。アイツの机の上に、今までなかったものが置いてある。わかっていたことだったのに、実際に目にすると自分でも信じられないくらい動揺した。心配してくれたらしくいつもよりも早く教室にきていた担任が、「ごめんな、形式だから」と謝った。肯定も否定も出てこなかった。俺の席からでは、嫌でも白い花が目に入ってしまうからだったと思う。席について早々に、俺は顔を伏せてしまった。今までアイツが席についていないことなんてよくあったことなのに、今日ばかりは何でだと思わずにはいられなくて。

「犬塚君」

 聞き覚えのある声にのろのろと相手の顔を見る。中学の三年間、俺達と同じクラスだった女子生徒だった。

「佐藤」
「無理しないほうがいいよ。保健室、いこう?」
「大丈夫」

 強がりだ。自分でも大丈夫じゃないことなんてわかっている。昨日のように、急に吐いてもおかしくないような感じだった。体調は決して良くなどない。

「……山神君」

 ピクリと体が一瞬震えた。情けない。馬鹿みたいだ。思って机を見つめる。

――親友の名前は【山神奏風】といった。

「ごめんね。でも、気になって」

 奏風の葬儀はほぼ身内だけで行われた。学校側からの同級生なども呼ばずで、うちの家がそこに出席したのは、身内同然の付き合いをしていたからだ。アイツはいろんな部分で有名だったから死去したことは学校のほとんどの奴が知っているのだろうが、それ以上のことは知らされていない。

「苦しそうじゃなかったかな」
「幸せそうだったよ」
「未練とか……」
「……無いとは言えないだろうな」
「私ね」

 ずずっと鼻をすする音が聞こえ、ギョッとして佐藤を見た。彼女は今にも流れそうなくらい目に涙を溜めていて、ごめん、と謝ってセーターの袖で涙を拭く。

「私、山神君なら幽霊になって出てきても怖くないよ」

 そんなことを真面目な顔で言ってから、泣きそうになるのを俺に見られないためか、その場にしゃがみこんだ。何を言ってるんだ、この優しい馬鹿は。なぜ急にあのタイミングで泣き出す。わけがわからなくて動揺した。この教室に入ってきてからずっと、昨日の葬儀が終わってからずっと、奏風の死の瞬間を見てからずっと、動揺しなかったことなんてないが。

「むしろね、出てきてほしいと思うの」
「……お前、奏風のこと好きだったもんな」

 今度は佐藤がギョッとした。擦りすぎて赤くなった目を驚きの色に染める。本当に驚いたのか、涙はすっかり引いていた。

「違う、違うよ。そんなんじゃないから」
「そうなのか。……だったら何で、出てきてほしいとか」
「だって」

 言いよどむ。顔色を伺うようにチラリと俺を見て、小さく震えた泣きそうな声でポツリと言った。

「犬塚君が泣きそうだから」



「シリアスしてた俺の時間を帰せ……!!」
「そんな無茶なこと言うなよー」

 今目の前でふにゃっと困ったように笑っているのは誰だ? なんでこいつがここにいる。様々な突っ込むべき要素に見てみぬふりをして、一番に言ったのはさっきのあれだった。

「佐藤の祈りか? 呪縛の呪いか?」
「それが、俺にもさっぱり」

 綺麗な顔。その中にこれまたバチッと納まった眉を少しだけ下げて感情をあらわにしているのは、見紛うはずのないあの顔だ。

「何でお前がここにいるんだよ奏風……!!」

 場所は近所の神社だ。小高い山の上にあって、何気に長い石段を登ってくる人間は早々いない、自然がそのまま残っているような静かな場所。体が弱いとはいえ、奏風も家の中でじっとしていては逆に体に悪いからと俺と二人でよく訪れた場所だった。何でここに俺がいるかといえば、学校にいても家にいても人に気遣われるばかりで落ち着かず、逃げ込んだのが習慣的にここだったというそれだけの話なのだが。

「それが、俺にも……って二回も言わさないでよ」
「二回も言わさないでよ、じゃねーよ! 何? お前実は生きてたの? ドッキリか。皆で口裏合わせてドッキリとかか? 趣味悪ぃなおい!!」
「ち、違うって!!」

 あわあわと理解を求めるように焦り出した奏風を見て、あ、となる。「あ、こいつが言ってるのは、俺が今思ってるのは、本当なんだ」と。

「……幽霊、なんだな」
「多分ねー」

 ははは、と生前と同じ軽い笑いをして、俺から離れた奏風がくるくると回る。信じてもらえてよかったーと呑気な声がした。

「おい、」
「あのね、秋人。俺、今全然苦しくないんだよ」

 奇跡みたいだ! そう言って本当に幸せそうに笑った。人の言葉を遮るなと言ってやるつもりだったのに、そんな気すら削がれてしまって、「そりゃ霊だもんな」と返す。

「でもね、疲れはするんだよ……」

 が、運動量が俺よりも少なかった奏風はすぐにばてたようにして俺の隣に座り込んだ。幽霊って疲れるのか、と初めて知ったことに少々驚きながら頭を撫でる。

「触れもするんだよ!」

 ニカッと明るい笑顔を見せたそいつに、今自分が触れていることに気づく。幽霊ってのは案外特別でも何でもないのか、と生きていたときと同じ感覚と、少々低いような気がする体温を感じて思う。

「でも誰にでも見えるわけでもないみたいだ」
「俺別に霊感ねーぞ」
「秋人はあるでしょー」
「何でだよ」
「だってほら、中学のときさ。あの怪しい占い師さんに“あなたは霊的なものを寄せ付けますがまだ見えません。いつか見ます”って言われてたじゃん」
「あんなのはったりだろ。見るからに胡散臭いもん信用してんじゃねーよ」
「信用したくもなるよ!」

 だって死んでからも秋人と話せてるんだよ? 夢みたいだ! とはしゃぐ奏風を見ていると、本当に夢を見ているようだった。だって俺は、こいつの死に目を見ている。病院のベッドに寝転んで幸せそうに微笑みながら眠ったこいつの死に顔を、一番に見たのは俺だった。

「奇跡とか夢とか、さっきからそんなんばっかだな」
「そんなんばっかだよ。だって本当だから」



 奏風が死んで一週間。
 何でそんなことになっているのか、どれだけ経ってもわからなかった。次の日行っても奏風はそこにいて、いつもより元気そうに、変わらない笑顔で俺を迎えた。死んだことに対して悲観しすぎたのか? そうではない。あの日の俺の反応は間違ってなどいなかった。現に奏風の両親は、あの日よりもましではあるが悲痛そうな顔を浮かべることがある。俺は初め、彼等にだけはこのことを教えておこうと奏風に言った。だが、「いつ消えてしまうかもわからないのに、これ以上悲しませたくないんだ」と言った奏風の意思を、俺は一番に尊重した。
 あの日から。
 奏風が死んで、俺の前に現れたあの日から、俺は欠かさず神社に通っている。奏風の両親にも自分の家族にも学校の友達にも明かさず、今までよりも数倍自由で数倍元気な奏風に――浮世にいないことに時々寂しそうな顔をするあいつのところへ。

『奇跡とか夢とか、さっきからそんなんばっかだな』

 あの日そう言って俺は笑ったが、本当に奇跡のような、夢のようなことなのだといまさらながらに思っている。



「成仏とかしねーのか?」
「酷っ!! 何、秋人は俺に成仏してほしいの!? 来て第一声がそれとか、いくらポジティブな俺だってへこむよ」

 ショックー! と大げさに反応してみせた奏風に俺は苦笑した。相変わらずだな、と口に出しそうになるが、しかしその前に奏風が少し真剣な顔になって俺の顔を真正面から見つめるので、何事かと眉を顰めた。

「あのね、秋人」
「なんだよ」
「俺ってば霊なのに疲れるし触れるし食べれるでしょ」
「ああ、そうだな。全然幽霊らしくない」
「それで思ったんだけど」

 少しためてから神妙な顔で俺を見るものだから、何を言われるのかと少し身構えた。

「俺、神様になっちゃったのかもしれない」
「……はあ?」
「だーかーらー!」
「いや、理解はしてるけどそんな馬鹿な」
「ほら、日本には八百万の神がいるって言うし、苗字も“山神”だし、俺気づいたらここにいたし!」
(あ、こいつ本気だ)

 長年の付き合いでそれをわかってしまった俺は、「あー、そうだったらいいな」と頭をぽんぽん撫でる。「絶対そうだって!」と騒ぐ奏風に反論しようとも、神でないということを確かめる方法が一つもないことに気づき、自分が不利であることを悟った。

「じゃあ俺が死んだら狛犬になるのか」
「え?」
「俺の、苗字“犬塚”なんだけど」

 奏風はパアッと一際嬉しそうにして「絶対そうだよ!!」と言った。否定的だった俺も、自分でそう口に出してみると案外しっくりくるもので、もし本当にそうだったらいいのにな、とらしくないことを思う。

「じゃあ俺はこの神社の神様で、秋人は死んだらここの狛犬になるんだ……嬉しいな。死んでからも秋人と一緒にいられる」
「ああそうかよ。よかったな」
「もっと喜んでよー!」

 弟をあやすような気分で頭を撫でる。癖になってしまったその動作を今もまだこうやってしていられることがとてつもない幸せであることを俺は知っていた。

「あのね、秋人」

 アイツの声が俺の名前を呼ぶ。耳に妙に馴染む声が続けて話した。

「この神社って、秋風神社って言うんだよ」

 一度驚いて、それから俺も答えるべく口を開く。

「ああ、それはもう運命だな」
(2012/08/22)