大人と子供の話
「十月三十一日は何の日でしょーか!」

 キラキラした目で俺を見た少女の表情にうんざりした。



 ハロウィンというものがある。日本ではクリスマスほど大衆化はしていないにせよ、近づくにつれて街には確実にオレンジ色のトレードマークが増えていった。そうなれば、休みにもならないイベントなど興味の範疇にすら入れていない俺でも、「ああ、そろそろハロウィンか」と気付くのは実に容易いことだ。
 一般庶民であり行事にもさほど関心を寄せない俺には縁遠い行事であったはずなのだが、十年前、突如姉の腹から顔を出した姪は幼いながらも女の卵であるわけで、少々ませて背伸びをした印象を受ける少女がそれに興味を示さないはずもなく。少女が今年の冬、同級生の男子ににチョコレートなるものを差し出したという話題は十年経っても初孫に甘い俺の母親から聞かされた話である。「ふーん」と聞き流した事柄をこんなところで思い出すことになるとは思いもしなかった。そんな自分に呆れながらも、俺と同じく世間のイベントに興味らしい興味のない姉が、娘にハロウィンを教えるなどとは思えない。

 ところで、今俺は買い物の最中だ。

「シュンスケ! 次こっち!」
「あーはいはい。走るな転ぶ」
「だってお店が逃げる!」

 逃げねーよ。思いながらパタパタと駆けていく姪の後を追う。言ったところで走るのをやめはしないのだから、結局始終俺が見ていなくてはならないのだ。そう思い早々に諦めた。
 しかし小学生のこのフットワークのよさはなんなんだ? 近頃の子供は家でゲームばかりしていると思っていた俺は、数日前の自分の発言を既に後悔しかけている。尤も、育てたのが俺の姉である時点でまず厳しく我慢を覚えさせられることはわかっていたが。子供は子供らしく外で遊びなさい、と以前家に言ったとき我子に言っているのを聞いたのを今更ながらに思い出す。俺はいつでも思い出すのが少し遅い。

「アヤ、あんま離れんなよ」
「シュンスケが遅いのが悪いんだよ!」

 いーと歯を出して返す彼女は子供らしい。表情や言動、行動なんかは俺達から見ればまだまだ幼く、それゆえの背伸びは彼女をより一層子供だと意識させた。

「で、何が見たいんだ」
「あっち! あそこのお店!」

 指の先を見ると、姉が普段アヤに買っている服と同じロゴマークが目に入った。なるほど、服はアヤの趣味だったか、と今更ながらに知る。
 姪が出来たからと言って、俺は母のようにはしゃいだりはしなかった。元々子供が好きなわけではなかったし、自分から積極的に関わろうという意志は薄い。むしろ子供は苦手なほうなのだ。純粋で明るくて無垢で無知な、ふわふわと柔らかい生き物は、俺の近くにはあまりない種類のものだった。大人になり俺達の言っていることがしっかり理解できるようになったなら普通に話せるかもしれないが、俺は今の彼女が何に怒り、何に笑うのかがよくわからない。意思疎通が難しいな、と感じるのは、言葉が上手く伝わらない分子供だ。わかりやすいのはいいのだが。

「服とか興味あんの?」
「可愛いのが好き!」
「抽象的すぎてわかんねー」
「ちゅーしょーてき?」
「わからないならいい」

 「ふーん」と言って、アヤは店に入っていった。
 事の発端は四日前の水曜日。「十月三十一日は何の日」という問をアヤがかけてきたそれがそうだ。生憎今年のハロウィンは平日で、その日俺は普通に仕事だった。ハロウィン当日に菓子をあげられない分、日曜日に付き合うという約束をしたのはそのときだ。勿論それは、俺が言い出したことではなくアヤのわがままだったわけだが。

「シュンスケー! これ可愛い!」
「だからなんだよ」
「ほしい!」
「菓子はいいのか? チョコがいいとか飴がいいとか言ってただろ」
「お菓子もほしい!」
「どっちかにしないと姉さんに怒られるぞ」

 「え!」と黙り込むアヤを見ると、どうやら本気で悩んでいるらしい。子供だな、と思う。中学生くらいになれば服を選ぶだろうに、本気で菓子と同列というのはある意味純粋で、単純だ。小学生くらいだと、まだそんなものなのだろうか。他の子供にここまで関わったことがないからわからない。

「お菓子にしとく」
「菓子でいいのか」
「だって、ハロウィンだもん!」
「そうか。なら気に入った服覚えといて今度姉さんに買ってもらいな」
「うん!」

 明るく返事をしたアヤの頭を軽く撫で、店を出る。このショッピングモールには、美味いと評判で、尚且つ子供が好きそうなデザインの菓子屋があるのだと、同期の女子社員にあらかじめ聞いておいたのだ。「お土産にどれでもいいからケーキ買ってきてね」というのは彼女の言葉である。

「でも、俊輔くんがそんなこと聞いてくるなんて意外ね」

 そう言った彼女に姪にせがまれたのだと告げると、彼女は面白そうに笑った。「仲がいいのね」とそう言って。
 確かに、仲は悪くないが。チラリと横を歩くアヤの頭を見おろす。身長の差がありすぎて、俺は立っているとアヤの顔が見えない。

「シュンスケ、どこいくの?」
「女の子が好きそうな菓子の店があるらしいから、まずそこだな」
「可愛い?」
「らしいぞ」

 「俺は見たことないけど」。そう言いはしたものの、先に聞こえた肯定の方を彼女の耳は優先的に拾ったらしい。キラキラした目に桃色の頬。えへへと可愛らしく笑うその顔をこっちに向けて「楽しみ!」と主張する。顔に出ているから言わなくてもわかる。

「いらっしゃいませー」

 カランカランとベルが鳴ったのに、彼女はまた目を輝かせた。どうやら音がお気に召したらしい。パタパタと靴音を鳴らして店内を端から眺めていくその背を視線で追う。
 明るい色の目立つ店内は、成人男性にはいささか居辛い空間だった。ここもハロウィン仕様の内装に切り替わっていて、パッケージのオレンジのカボチャが目についた。いかにも女の子向けというそこには意外なことに大人の女性もいて、味がいいのは本当らしいな、となんとなく思う。これなら姉さんにも何か買っていくか、と思いつつ、アヤの後をついていくついでに同僚への土産の品定めをし始めた。まあ、姉さんも同じものでいいだろう。両方とも極度に甘いものが好きなわけではなかったが、サッパリした甘さが好きなタイプだ。

「シュンスケ! 可愛い!」
「そうか、よかったな」

 ご満悦な様子だ。店を聞いておいてよかった、と肩を下ろしながら笑いかけると、アヤはニカッと年相応な笑みを浮かべた。
 子供は好きじゃない。これは本当だ。あまり関わりたくないのも、嘘じゃない。だが、嬉しそうに駆け寄ってきたり笑ってみせたり、そういう仕草を可愛いと思うことは、ままある。姉の子を内心で可愛がるくらいのことはできるのだ。だから、あの水曜日、アヤが言った言葉に頷いた。「じゃあ今度のお休み、一緒にお菓子買いに行こう?」。それに「いいよ、行こうか」と答えたのは紛れもなく俺だ。俺にしては甘い、と思う。
 約束をした水曜日、夜にアヤの父親である拓海からかかってきた電話は、「お前等仲良すぎ!」という一言から始まった。初めての自分の子だ。しかも娘だ。可愛くて仕方がないという様子の父親は、我子自慢が最近鬱陶しくて敵わないと思っていたが、こちらにその標的が向くのも随分面倒くさいものだな、と思った。仲がよかったからなんだというのだろうか。父親は拓海で、俺は単にアヤの叔父だというだけなのに。あの日の拓海はどこかおかしかった。やたらと声色が沈んでいた原因が俺にはよくわからない。
 そもそも俺と拓海では随分とタイプが違う。俺と姉がサバけているというよりも冷めているのに対し、彼は表情豊かで明るく活発だ。二人が付き合っていると聞いたとき、そして結婚すると言い出したとき、いくら幼馴染とは言え、この二人で家庭が成り立つのかと心配したりもしたが、案外うまくやっているようで何よりだ。別れたりしてアヤが寂しい思いをしなければいいな、くらいには思っているが、二人はあれでいて気が合っているようだからそんなことにはならないだろう。タイプが正反対なだけに、お互い穴埋めをしながら一緒にいる、と前に姉が言っていた。

「シュンスケ、これがいい!」

 突然服の裾を引っ張られ、思考から引きずり出された。見おろすと、アヤがあのキラキラした目で俺を見ている。そしてその指先には、可愛らしいクリームのケーキが入ったショーケースがある。

「どれ?」
「このイチゴのやつ……あ、でもこっちも可愛い」

 判断基準は可愛いかどうかなのか。まあ別にいいのだが。元々彼女がクリーム系のケーキが好きなのは母情報で知っていた。こちらから聞かずとも、実家に暮らす俺には母からアヤのことは伝わってくる。初孫が可愛くて可愛くて仕方がないらしい母は、家が近いのをいいことに姉夫婦をよく呼びつけるのだ。
 レジの向こうで女性店員が、クスクスとアヤを見て笑みを漏らしていた。「可愛らしいですね」と言って俺に笑いかけた店員に、夢中になってショーケースの中をのぞくアヤは気付かない。俺は箱に入った限定物っぽいカボチャのケーキを二つ持ってきて、まだ迷っているアヤの頭を軽く叩いた。

「何で迷ってるんだ?」
「これと、これ」

 両方クリームだが、上に乗っているものが違う。そういえば、こいつイチゴもミカンも好きだったな、と思い返してふむ、と考える。未だ悩んでいるアヤは、いつになれば決められるかわからない状態だ。

「アヤ」
「何?」
「今日食べていいのは片方だけだって約束できるなら、二つとも買ってやるよ」
「ほんと!?」

 パアッと表情が明るくなる。わかりやすい奴。感情の出方が父親そっくりだ。「おう」と肯定すると、アヤは右手の小指を差し出してきた。

「何」
「ゆびきりげんまん!」

 さも当然と言わんばかりに俺の手を取って小指を絡ませる。何もそこまでしなくても。そう思いはしたものの、これを教えたのも拓海なんだろうな、と姉では絶対やらないだろうそれを見て考えた。

「うそついたらはりせんぼんのーます。ゆびきった!」

 今思うとなんて怖い約束の言葉だろうかと思うのだが、誰が考えたのだろうか。子供でもわかる怖いものを表したらこういうことになったのか。それにしても、無邪気な表情で「はりせんぼんのーます」と言ってのける子供は本当にそれを怖いと思っているのか疑問だ。俺は思っていなかった気がする。

「すみません、それとそれください」

 カボチャのケーキをカウンターに置き、アヤが欲しがっていたケーキを二つ注文する。カボチャ一方は姉さんと拓海で半分ずつするだろう。もう一方は同僚が彼氏とでも食べるかもしれない。それなりの大きさだ。二人で食べれば丁度いい。

「シュンスケ」
「ん?」
「ありがとー」

 アヤが本当に嬉しそうに笑うから、まあ買ってやってよかったな、と思わないでもないのだが。ハロウィンに頼めばケーキを買ってもらえるなどと、そういう認識ができて来年も押しかけられないことを祈るばかりである。毎年は面倒くさいな、と思いながらケーキの袋を受け取った。それとは反対の手に温かいものを感じてそちらを見ると、アヤが幸せそうに笑いながら俺の手を握っている。

 さっきまで一人で駆けてたくせに、現金な奴。
(2012/10/28)