僕等ほんのすこしオトナになった
 式が進んで行くのを、どこかそわそわした気持ちで眺めていた。



 他の生徒に比べ、俺は母校に対する思い入れが少ないのかもしれない。これで俺の中学校生活は終わるんだ、これで同級生とも離れるんだ、と思いはしてもそれ以上のことは浮かばない。どうせ地元だし、どうせ顔合わせるし、となんとなく可愛気のないことばかり考える。部活をしていなかったから、というのもあるだろう。
 生徒や後ろの親類達の方からすすり泣きが聞こえる中、俺は「早く終わんねーかな」と思っている。
 隣に座っていた上田が涙目でこっちを見た。

「犬塚は卒業式でもクールだな」
「別に。またすぐ会えるだろ」

 上田の言葉に軽く返して、俺は体育館の正面へ視線をやる。

「三年二組、犬塚秋人」
「はい」

 時々嗚咽が聞こえる居心地の悪い空間の中、呼ばれた自分の名前に立ち上がった。



 教室に帰り、卒業生達は式中の沈黙に耐えられなくなったように、いっきにその声を出し始めた。いつもの数段煩い教室は、まあ今日くらいそれもいいだろ、と微笑ましい気持ちにさせるだけの雰囲気を持っている。

「犬塚! 寄せ書き頼む!」

 もう何人目になるのか。女子ほどではないにしろ、卒業アルバムの寄せ書き収集にそれなりに精を出している男子は結構いる。それを苦笑で向かえ、丸く丁寧な字よりも粗雑なそれが多い白地のページに、何の色気もない黒の油性ペンを走らせた。『三年間ありがとう。高校でも頑張れ』。
 書いた文字に「素っ気ねー!」とか「最後まで落ち着きやがって!」とか言いながら、何かを惜しむように肩に手を回し頭をグリグリやってくる。
 他のクラスは知らないが、式が終わってからというもの、三年二組の教室では男子も女子もほとんど哀愁というものを見せない。まあそれもこのクラスのいいところだ、と思いながら、窓際の一番後ろの席にいる俺はただ来る者拒まずで寄せ書きをし続けた。

「あの、犬塚君」
「佐藤?」
「えっと……卒業おめでとう」
「ありがとう。佐藤もな」
「あ、ありがとう」

 少し顔を赤くしながら言う佐藤は、思い出したようにアルバムを取り出し、仲の良い女子達からのメッセージが書かれたページを差し出した。

「お願いしていいかな」
「いいよ。俺のも頼めるか?」
「うん……勿論」

 女子から寄せ書きを頼まれるのも、まあこのクラスではあまり珍しくはない。適当に回して書いてーとか言って回してきたものもあるし、彼女等は男子相手でもフレンドリーだ。だが、佐藤はあまりそういうタイプではないように思えて、少し意外で。
 何を書いたものか、と少し悩む。佐藤の方もそうなのか、手に持っている水色のペンはまだキャップが外されていなかった。
 思えば彼女とは一年からの付き合いだ。四組まであるこの学校で、三年間同じクラスというのは佐藤だけだった。三年の夏休み前、アイツが死んだ時に一番心配をかけたのも、同級生の中では佐藤だったように思う。受けた高校が同じだということを知ったのは出願のときだった。
 「佐藤もここなのか?」「うん、犬塚君も?」「そう。近いもんな」。そんな会話をしたのは、少し前。
 世話になったよな、と思う。
 たとえ短い期間だったとはいえ、奏風が死んで意気消沈していた俺に、真っ先に心配の言葉をくれた同級生だ。近づき難かっただろうに。うーんと悩み続ける。佐藤の方も、未だ動く気配はない。
 そのとき、上田が高らかに声を上げた。

「皆に報告ぅー!」

 見るからに上機嫌な彼の方へ視線が自然と向き、何事だと眺めていると、「俺、彼女ができました!」と宣言する。一瞬静まり返った後一気にクラス中がお祝いムードになり、「上田おめでとー」「お幸せになー!」と方々から声がかかった。隣では彼の言う“彼女”が恥ずかしそうに、でも幸せそうに顔を赤らめて微笑んでいる。あの二人は長続きするな、となんとなく思った。

「仲良くしろよー」
「とーぜんだろ!」

 踏ん反り返った上田が、周囲から来る冷やかしまじりの質問に着々と答えていく様を見ながら苦笑する。

「いいな……」

 ポツリと聞こえた小さな言葉に、その声の主を見た。佐藤はハッとしたように俺を見て赤面し、気まずそうに俯く。

「あの子ね、隣のクラスの子なの。自分から告白したんだって。凄いよね」

 いつもより少し早口に、佐藤が言い訳のような、そうでないようなことを言う。慌てる感じが彼女らしかった。

「うん、凄いな」
「私、そんな勇気ないし……言えないから、羨ましいな、って。……それだけ、なんだけど……」

 「幸せになってほしいね」と言った佐藤がふわっと困ったような笑みを見せ、俺のアルバムに何かを書き出すのを見て、俺もそれにならう。

『三年間同じクラスって結構凄いな。奏風のときはありがとう。俺が受かったら高校でもよろしく。犬塚秋人』

 書き終わったアルバムを手渡すと、佐藤はそれを見て小さく笑った。

「“俺が受かったら”って、私も受からないと高校でよろしくできないよ」
「佐藤は受かるって。絶対」

 キョトンとして一瞬言葉を止めた彼女は、「犬塚君が言うと本当に受かりそう。嬉しい」と、言葉のまま、幸せそうに微笑んだ。
 俺はそれに少し笑って返し、カバンの中からもう一冊のアルバムを取り出す。

「あ、やるの?」

 佐藤が優しい顔で言った。

「うん」

 俺は軽く返事をして、ケースからアルバムを取り出し、席を立つ。

「なあ、皆ちょっといいか?」



 学校から帰宅する頃には、昼の時間をとっくに過ぎていた。どうせ遅くなるだろうから、と姉の卒業式を経験済みの母が渡した昼食代で近所のコンビニの弁当を買い、俺は秋風神社に足を運ぶ。
 幽霊なのか神様なのか、結局その結論など出はしなかったが、今日もアイツはそこにいた。
 半年以上そうして神社で生活している間に自分の居場所のようなものをキッチリ確立してしまった奏風は、最近いい場所を見つけたと言って、大概建物の裏側に座り込んでいる。ポカポカとした日が当たる、暖かい場所だ。
 生前寒がりだったこいつは、三月になった今でも半纏を纏っていて、制服にマフラーを巻いただけの俺を見て、しょっちゅう「秋人寒くないのー?」と言った。

「あ、お帰り、秋人!」
「ただいま」

 ふふふ、と嬉しそうに笑う奏風は、俺を見ようと首だけを後ろへ回す。

「卒業おめでとう」
「どーも」
「あれ、秋人……」

 不思議そうに、気まずそうに、奏風が俺が手に持っているものを見る。珍しく言いよどんでるな、と思ったが、俺は何も言わず、言い辛そうにしている奏風を見た。

「……秋人、人の卒業証書間違って持って帰ってき、いたっ!」

 決心したように開かれた口から出てきたのはあまりに間抜けな発言で、馬鹿、と言う代わりに奏風の頭を筒で軽く殴る。死んだ後だっていうのに簡単に触れられてしまうのが、未だに一番不思議だ。

「んなわけねーだろ。お前じゃあるまいし」
「お前じゃあるまいし、ってどういう意味!!」
「まんまだろ」

 はあ、と息をつく。確かに俺は賞状筒を二つ持っていた。だがそれは、人のものを多く持って返ってきたとか、そういうことではない。
 “届けに”きたのだ。

「ほら」

 受け取れ、と奏風に一つを渡した。不思議そうにしながら受け取る奏風の目が、すぐにハッとしたような色を持つ。

「あ、開けてもいい?」
「どーぞ」

 勢いよく開けたときのポンッという音がひたすら間抜けだが、奏風の表情はどこまでも真剣だ。ここまで喜ぶとは。弟を見るような気持ちになって、カバンの中のもう一つのことはいつ言おうか、と算段する。

「山神奏風って書いてある……これ、どうしたの?」
「担任に相談した」
「秋人、俺の嬉しいこと何でもわかるよね、実は!!」

 まるでエスパーか何かを見たように目をキラキラさせて俺に詰め寄る。幼稚園の頃のことは流石に覚えていないが、小学校の頃から変わらないこの純粋な性格は多分一生ものだ。

「奏風、実はな」
「え、まだ何かあるの!? 良い話? 悪い話?」

 今良い話だったから悪い話しかも! とでも思ったのだろう。わーっと慌てる奏風に落ち着くように指示し、自分のカバンを俺と奏風の間にドンッと置いた。

「奏風」
「な、何?」
「この中には、お前がもっと喜ぶものが入ってる」
「え……え?」
「ほしいか?」

 困惑した表情の奏風相手にニッと笑ってみせると、コクコクと首が取れるんじゃないかというような勢いで頷いた。本当に取れるんじゃないかと思い、慌てて奏風を止める。
 興味半分怖さ半分といった様子の奏風は、ゴクリと喉を鳴らしてカバンのチャックにかけられた俺の手を見つめた。

「……あ!」

 カバンの中から現れる、淡い色のアルバムが“二冊”。

「え、嘘。本当に?」
「ああ」
「……うわあ、クラス写真だ。皆いる」
「お前は丸写真だけどな」
「ははは。でも嬉しい……懐かしい。ね、皆」

 「久しぶりー」と写真に話しかける奏風を見て苦笑して、ああでも喜んでくれたと心から安心する。
 四クラス分のクラス写真。二組のところには、休みの人みたいになってしまったけれどちゃんと奏風が入っている。三年間の行事の写真をかき集めて、卒業アルバムの係りになった生徒と先生が選びに選んで載せた写真には、皆と一緒になって笑っているこいつの顔がいくつも写っていた。さっき書いてもらったばかりの寄せ書きはいつの間にか他のクラスにまで回っていて、俺が書く隙間なんかなくなるんじゃないかって思うほどで。
 半年の間に奏風が漏らした「皆覚えてるかなあ」という、いつになく弱気な言葉に本気で驚いた俺はそれをずっと覚えていて、何らかの形で忘れられていないと言ってやりたかった。卒業アルバムとかどうだろう、と思って提案した俺に、一番に乗ってくれたのは思えばあれも佐藤だったんじゃなかったか。「とてもいいと思う」と優しい笑顔で。
 俺も自分のアルバムを取り出して、散々みた写真のページをペラペラと捲くった。書いてもらった寄せ書きは後で見ようと思っていたから、まだ一つも何を書いてくれたのかを知らない。

「寄せ書きもしてくれたの!! というか知らない名前とかあるー」
「クラス内に回してたら他のクラスにも回ってた」
「俺有名人!」

 ページを捲くるごとに、奏風の目のキラキラが増す。本気で、手放しで喜んでいるその姿に俺も嬉しくなる。楽しそうに、よく笑う奴なんだ。そんな、皆から忘れられてるとか、ただの想像で寂しい気持ちになんかさせようとは思わない。

 横目に奏風の表情を確認し、俺は俺で満足して自分のアルバムを見た。同じ高校を受けた何人かからは「高校でもよろしく!」という文字が目立ち、違う学校に行く奴からは「でもまた遊ぼうな!」というような言葉が多い。時々まじる丸い字はカラフルなものが多くて、女子はこういうの凝るよな、と思いながら読み上げていった。先生から書いてもらった字はなんとなく背筋がシャンとなる感じのものが多くて、でも二組の担任はいつもどおりのノリのよさだ。
 そして、一つのメッセージを見て動作が停止する。

「わーやっぱ皆楽しいね! あ、佐藤さんからもメッセージある! ……あれ、どうしたの?」
「いや……」

 顔を隠してはぐらかす。

「何か感動の涙とか流させるようなのあったの?」

 見当はずれの奏風の意見が少し面白かったが、それに笑えるだけの余裕はなかった。

(これ、もしお前の後誰かに書いてもらってたら、どうするつもりだったんだよ……)

 横から俺のアルバムを覗き込んでいた奏風が俺の肩に手を置く。

「春ですか、お兄さん」
「うっさい!」

 その手を振り払って、確実に赤くなっている顔で奏風を叱った。

『好きです、なんて。本当だよ? 言えないから書いてみました』

 奏風はニタッと笑って、自分のアルバムの方を指差す。

『犬塚君のことは安心して任せてね! 頼りないかもだけど、頑張ります』

 ほんと、何やってんだよ佐藤。
(2013/03/03) 『神様と狛犬』続編